【草木染め/手織り紬織物】
信州飯田紬/市松網代格子　
制作-廣瀬澄子
「手織りの中の手織り」
経糸/真綿糸
緯糸/真綿糸
【染料】
経糸/渋木・えんじゅ
緯糸/渋木・えんじゅ


着物に関わり、四十年余り、もっと言えば紬に関わりじきに四十年になろうとする履歴においてざっと数千反（※数えた訳ではありません、推定）の紬をご紹介してきたことになる。　なかでもとりわけて一、二を争うほどの質感かも知れない。　飯田紬には（本当は廣瀬さん固有の紬なので廣瀬紬と称してもいいような気がします。）様々なランクがある。　なかでもこちらは「手織の中の手織り」と証紙の貼られる極上品。　「手織の中の手織り」を集め比べたとしておそらくも最上ではないか。　少なくとも私の目と手は確実にそうだと思う。　また、他の紬と比べても、例えば羽衣とも称される本場結城の地機と比べても遜色はない。　正直申し上げれば、こちらのお品の方が上とくち憚ることなく言われる織物商も居る。　確かに少なくとも劣ることは断じてない、それほどに見事な織り映え。　紬を愛好される方ならば、写真をご覧頂いただけでその質感、いえ、着心地までも想像出来るかもしれません。


手織りの中の手織りと（称された）賞されたこの草木染/手織り紬織物、飯田紬の愛好家ならば、いえ、愛好家でなくても飯田紬を知る方であれば記された意味をご存知かもしれません。　誂え機の飯田紬には数種類の証紙があり、優秀な作品には「上手な手織」の証紙が貼られます。　中でもこちらの作品に貼られた「手織の中の手織り」の証紙は“これ以上ない最上級の織り”に与えられるもの、飯田紬の廣瀬氏が最上と認めたものに付与される手書きの証紙です。　使われる経糸は杼が通り難く面倒な玉糸の単糸（撚っていない糸）を精錬し、草木染を施したものが使われます。　緯糸は極めて細い手紡糸を草木で染めたものが使われます。　文字にすれば僅か三行にも満たないことが実際の機織りにおいてよくある紬と比してその手間暇は何倍も掛かるのです。


ご覧頂けます様に一見、単なる無地感覚でしかありません。　でも、その「一見」はほんの僅かな一瞬のこと。　すぐに端倪すべからざる何か、つまりただ者ではない何かが目に映り込んでくる。　画像でご覧頂いてもそうした印象がお解り頂けるかもしれません。　その、端倪すべからざる何か、そう、市松網代格子です。　少し離れて見ると無地感覚の紬に見えますが近くで見るとほぼ糸の濃淡だけで織り表現がされた網代格子が目に映り込んでくる。　でも、こちらの飯田紬の端倪すべからざる何かは目に映る美しさだけではありません。

手に取ると、その質感はまるで羽衣のよう。　もちろん実際に羽衣ほどに軽い訳ではない。　でも、空気を含んだかのような質感は例えれば真綿の羽衣、まさにそんな感じなのです。（※どうしても他の何かに例えるならば、地入れを終えた後の地機の結城紬のよう。）　不思議なのは掌に温もりが伝わりるのです。　廣瀬澄子さんの紬への想いまでもが織り込まれているかのようで他で経験した事のない感覚です。　工業的に織られた紬織物は言うまでもなく、結城紬の地機/高機からも感じたことのない温かみです。 思い込みや印象ではなく、手に触れたその瞬間にそう感じるのです。　結城紬の地機からも時に同じような感覚を覚えることが稀にあるけれど、厳密に言えばそれともまた違う。　結城紬の地機が手の温もりであるならば、この飯田紬の温かさは手の温もりに加え、陽だまりのような暖かさとも形容出来るのかも知れない。　糸の生命、使われた草木の生命までを感じさせてくれるのです。　


こちらのお品は廣瀬澄子さんが真綿糸の段階から手を掛け、糸を染め、手織りで織り上げたもの。　一般的によく見掛ける、緯糸にのみ真綿糸、経糸には生糸が使われた”本当の意味での真綿紬とは定めにくい真綿紬”ではなく、経糸、緯糸すべてに真綿糸が使われた“純粋な真綿紬織物”。　そのため、保つ風合いや質感は本場結城紬の地機と同じです。　もしかすると、飯田紬の方が質感は勝るのかも知れない。　少なくとも以下ではない。　それはこの飯田紬に一度でも袖を通した経験の在る方ならば、必ず頷かれる感想かと思います。　私の個人的な思い込ではないのです。　単なる無地感覚の織物で良いのなら、これほどまでに拘る必要はない。　糸質に拘り、染色に拘り、更に言えば蚕にまで拘り…、　敢えて手間暇を掛けたのは極上の着心地を目的として織られた証なのです。

ご覧頂きました印象はいかがでしたでしょうか。　無地感覚と言う言わば柄を持たないもの、ともすれば視線をやり過ごしてしまいがちな無地を、熟練の手技、様々な色彩をその糸に映し染め上げることで、生み出した色の奥行と深みなるものでここまで印象的に創り出しているのです。　単なる無地感覚の織物に留まらない「端倪すべからざる」印象とは制作者である廣瀬さんによって掛けられた図り…。　そしてこの図りこそが人の目を惹き付けて離さないこの紬織物の魅力でもあるのです。


この飯田紬が唯単なる無地感覚の紬織物に留まらない、温もり、温かさのようなものを感じさせるもうひとつの理由は、言葉にて表現するのが適わない「色」ではないでしょうか。　長い時間、目を凝らして眺めていても「何色」と色の名前でお伝えする事がとても難しいのです。　また、無地感覚と言えば確かにそれには違いないのだけれど、無地感覚と表現するにはあまりにも勿体ない、実際に少し離れて見れば、深みを保った無地を重ねたような…　なんとも魅力的で単純に説明できない、要するに私の語意では到底お伝えしきれない質感なのです。　さっきからこの文章を書きながらも、延々見続けているのですが、やはり文字にする事が出来ないのです。　「ベージュ」ではありません。　クリームかと言えばそれも違う。　あえて色名を付けるならば黄色みを帯びた淡い砥粉色、でしょうか。　化学的につくられたカラーコードには見つけることの出来ない、言うなれば廣瀬澄子さんによって創られた廣瀬澄子さんの飯田紬の「色」、、、なのです。　

手織りの紬織物は織り上げるまでに大変な労力/手間暇が掛かります。　そしてそれは現代の産業形態に照らして決して合理的と言えるものではありません。　コスト有りきで大量に生産され、大量に使い捨てられる…、そうしたことを繰り返す現代社会の価値観からは遠く遠くかけ離れたものなのかもしれません。 　しかし、織り上げられたこの紬織物は製品となったその瞬間から、多くのモノ達のように価値を減らし続けてゆく消耗品ではありません。　ありふれた多くのモノのように時の経過とともに朽ち果ててゆくものでもありません。　むしろそれらのモノとは対照的に時の経過とともに染色は彩りに深みを湛え、その織りはひと（持ち主）の身体に馴染んでくるのです。　そして誂えたひとの人生に芳醇な趣味趣向をもたらしてもくれるのです。　そしてそれは商業的につくられた産業製品と言う無味乾燥したモノからは決して得ることの出来ない貴重な味わいなのです。　秀逸の一言、です。　味わってみてください。　極上の着心地を。
※参考帯コーデは、岡田その子/白い花、アトリエ品川工房/陶文、築城則子/小倉織